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通商産業省 工業技術院
機械技術研究所
統括研究調査官室
シランカップリング剤水溶液から生成した
氷スラリーの結晶構造観察
極限技術部 量子技術研究室 稲田孝明,矢部彰
機械研ニュース NEWS,1998,No.12より
1.はじめに
氷スラリー蓄熱輸送システムは,従来の水の顕熱を利用した蓄熱輸送システムと比較して,装置・配管のコンパクト化や搬送動力の省エネルギー化を可能とし,ビルの冷房システム,地域冷暖房システムなどのエネルギー使用量の多い大規模民生用として期待されている.しかしながら,長時間にわたる蓄熱や,長距離の冷熱輸送にまで応用範囲を広げるためには,氷の成長や再結晶化に伴う熱応答性の低下や管路閉塞などの問題を解決しなければならない.氷の成長や再結晶化を抑制する方法として,極地に生息する生物の体内に存在する不凍化タンパク質(antifreeze protein:AFP)の利用が実証されているが1),2),AFPが高価であること,また高温環境やバクテリアに弱いことなどの理由から,商業的な利用には至っていない.そこで,AFPと同様の機能を持ちながら,より安価で安定な代替物質が求められている.
機械量子分子工学特別研究室,極限技術部量子技術研究室,エネルギー部環境技術研究室では,AFPの代替人工物としてシランカツプリング剤(silane coupling agent:SCA)を選定し,その水溶液中での氷結晶成長の様子を調べている.さらに,SCAが氷結晶成長を阻害するメカニズムを解明するために,走査型トンネル顕微鏡(scanning tunneling microscope:STM)を用いてSCA水溶液から生成した氷結晶表面の観察を行っている.
2.シランカップリング剤(SCA)
SCAは溶媒との親和性に優れた極性基を持つ反応性液状低分子量体である.図1(a)にSCAの一般式と加水分解反応式を示す.図中のORは加水分解基であり,Xは有機樹脂と反応する官能基である.つまり,SCAには有機材料と無機材料とを化学的に結合する性質がある.加水分解基を3つ持つSCAは,水中で加水分解してシラノール基(SiOH)を形成し,3つの親水性の強い基と1つの疎水性の強い基を合わせ持つ分子となる.また,このシラノール基は不安定であるため,時間の経過とともに個々のSCA分子が持つOH基同士が脱水縮合反応を起こし,最終的にSCAは個々の分子が長く連なった分子構造をとる.その結果,図1(b)のように,長く連なったSCA分子群が氷結晶表面に吸着することが推測される.ただし,連結したSCA分子の親水基の間隔は約0.30nmであるので,酸素原子間隔がこの間隔と同じかまたはその倍数となるような氷結晶表面の存在が,SCAが氷結晶表面に吸着するための必要条件となる.図のようなSCAの吸着が起これば,外側に面した疎水基によって,氷結晶の成長が抑制されると考えられる.
図1−a シランカツプリング剤(SCA)の特性
(a)SCAの示性式と加水分解
図1−b シランカツプリング剤(SCA)の特性
(b)SCA分子の氷表面への吸着モデル
3.SCA水溶液中での氷の結晶成長
SCAが氷結晶成長過程に及ぼす影響を調べるために,SCA水溶液中の氷結晶成長の様子を観察した.観察用装置全体を0℃に設定された低温室内に設置し,水溶液を安定した所定の過冷度に設定した後,純水から生成した氷の種結晶を添加し,そこからの結晶の自由成長を,光学顕微鏡を通して写真撮影した.観察は結晶周りの水溶液の過冷度及び水溶液の濃度を変化させて行った.
図2に,SCAの一種であるビニルトリエトキシシラン(VTES)2mg/ml水溶液中での結晶成長の写真を示す.針状の結晶が,隣り合う結晶と結合せず,それぞれ独立に種結晶から成長する様子が観察された.水溶液濃度が2〜10mg/mlの範囲で,同様な針状結晶を観察することができた.5mg/ml水溶液の場合について,水溶液の過冷度を変化させて観察を行った結果,−0.4〜0.0℃の範囲では針状結晶が保たれることが明らかになった.
図2 ビニルトリエトキシラン水溶液(2mg/ml)から生成した針状氷
一方,−0.4℃以下の温度では,典型的な樹枝状の結晶成長が観察された.SCA分子が特定の氷結晶表面に吸着すると考えると,これらの観察結果は,SCA分子がその結晶平面に整列するのにある程度の時間を要することを示唆している.すなわち,ある臨界温度よりも低い温度では,SCA分子が氷表面に吸着するよりも早く水分子が氷表面に取り込まれるため,結晶成長の抑制効果が失われるものと考えられる.5mg/mlのVTES水溶液に対しては,−0.4℃がその臨界温度にあたる.
融点付近では,VTES水溶液から生成した氷結晶の先端の頂点角度は43°(±5°)であることが観察された.氷結晶が上下対称の六角錐形状をとり,VTES分子が六角錐のピラミッド平面に吸着して氷結晶の成長を抑制していると仮定すると,六方晶系の氷結晶の単位格子寸法と測定された頂点角度から,VTES分子がどの氷結晶面に吸着しているかを幾何学的に推測することができる.面の指数が5以下の場合に限定して考えると,測定された頂点角度を形成する可能性のあるピラミッド平面は{303−2}面または{404−3}面であり,頂点角度の最大値はそれぞれ44.5°,49.4°となる.したがって,VTES分子はこのいずれかのピラミッド平面に吸着していることが予測できる.
特性の異なる5種類のSCAを使用し,結晶観察を行った結果を表1に示す.VTES水溶液,3−グリシドキシプロピルトリエトキシシラン(3−GPTES)水溶液,3−メタクリロキシプロピルトリエトキシシラン(3−MPTES)水溶液中で,針状の結晶成長が観察された.これらはすべて加水分解基を3つ有している分子である.それに対して,3−グリシドキシプロピルメチルジエトキシシラン(3−GPMDES)水溶液,3−アミノプロピルトリエトキシシラン(3−APTES)水溶液中では,際立った氷成長抑制効果はなく,樹枝状の氷成長が観察された.3−GPMDESは加水分解基を2つしか持たないので,その内の1つが氷表面と結合すると,脱水縮合によって個々の分子が長く連なることができない.また,3−APTESは加水分解基を3つ有しているが,アミノ基の影響で加水分解後安定な状態となり,脱水縮合反応を起こしにくい.以上のことから,SCAが氷表面に吸着し成長抑制効果を示すためには,脱水縮合反応によってある程度の長さを持った分子形態をとる必要があると考えられる.
4.STMによる氷表面の観察
SCAが氷表面に吸着するメカニズムを解明することを目的として,STMを用いて氷結晶の表面構造を観測した.観察手段としてSTMを用いた理由は,トンネル電流を一定に保って走査することによって探針と氷表面との接触を防ぎ,氷表面の変化を避けるためである.氷表面から昇華を防止するために,試料ステージを含む測定部を−7℃に設定した低温室内に設置した.図3は試料ステージ上の氷結晶の模式図である.試料ステージ上にはあらかじめ過冷却状態の純水水滴を置いておき,その上に針状の氷結晶を乗せることにより,水滴が瞬時に凍って針状の氷結晶が試料ステージに固定され,氷結晶と試料ステージの導通を確保することができる.昇華による表面の改質を完全に防ぐために,氷結晶をオイルの薄い層で覆う.氷の低い導電率を考慮して.比較的高いバイアス電圧(4V)と低いトンネル電流(80〜500pA)の組み合わせで測定を行った.
図3 STM試料ステージ上の氷結晶
図4 ビニルトリエトキシランが吸着した氷結晶表面のSTM像
VTES水溶液から生成した針状氷結晶の典型的なSTM像を図4に示す.氷結晶表面には,深さ30〜70nmの溝が約200nm間隔で規則的に配列している.また,この溝は六角錐の対称面の1辺に対して約75°の傾きで配列していることが分かった.一方,純水から生成した氷表面は,5nm以下の高低差を持つ凹凸が不規則に並んではいるが,全体として平坦な表面をしていることが確認された.これらの観察結果から,溝には長く連なったVTES分子が吸着しており,外側を向いた疎水基が氷の成長を抑制していると考えられる.
前述の通り,針状氷結晶の頂点角度から,VTES分子が吸着しているピラミッド平面は,{303−2}面または{404−3}面と推測された.ここではVTES分子が吸着している溝の配列角度から,吸着面についての考察を行うことにする.{303−2}面内の(224−9)方向は,六角錐の対称面の1辺に対して約78゜の傾きを持ち,また{404−3}面の(112−4)方向は,六角錐の対称面の1辺に対して約77°の傾きを持つ.これらの傾きは測定された溝の傾き(約75°)にほぼ等しいので,{303−2}面と{404−3}面のどちらも,VTESの吸着面としての条件を満たしている.また,{3032}面の(224−9)方向には,氷結晶の酸素原子は239nm間隔で並んでおり,この間隔は脱水縮合により長く連なったVTES分子の親水基間隔0.30nmの倍数にほぼ一致する.一方{404−3}面の(112−4)方向には,氷結晶の酸素原子は324nm間隔で並んでおり,この間隔はVTES分子の親水基間隔0.30nmの倍数には一致しない.以上の考察より,{303−2}面の方がVTES分子の吸着面としての可能性が高いことが分かる.
5.おわりに
生物の体内に存在する不凍化タンパク質(AFP)が有する氷結晶成長抑制機能を,人工物であるシランカップリング剤(SCA)を利用して再現することに成功し,そのメカニズムについて考察を行った.今後は,氷の結晶成長抑制法をより実用的なレベルに高めるために,各種分子の氷結晶表面への吸着メカニズムについて系統的に検討して行く必要があると考える.なお,本研究は斉藤剛士氏(筑波大学大学院)の協力のもとで行われたことを付記しておく.
「文 献」
1)Grandum,S.,矢部彰,中込和哉,田中誠,竹村文男,小林康徳,Frivik,P.E.,“不凍化タンパク質を利用する氷スラリーの結晶構造のミクロな研究”,機械学会論文集,63−607,B(1997),1029−1034.
2)Grandum,S.,矢部彰,中込和哉,田中誠,竹村文男,小林康徳,池本光志,Frivik,P.E.“不凍化タンパク質を利用する氷のスラリー化と低温蓄熱への応用の研究”,機械学会論文集,63−609,B(1997),1770−1776.
[発表者]
機械技術研究所 極限技術部 量子技術研究室 稲田孝明,矢部彰
Tel: 0298-61-7272, Fax: 0298-61-7129
[連絡先]
機械技術研究所 統括研究調査官室 千阪文武/石塚一則
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